ご報告です。

2021年6月18日(金)AM11:00頃

りこが死にました。


むぎととても仲良しでした。

現在、りこが死んで既に9か月以上経過しています。
記事自体は書き終えていたのですが、
何となくアップする気が進まず、今日に至るのですが、
ようやく、アップする気が起きました。

当初はこの事を記事にするかどうか迷いましたが、
自分自身の気持ちの整理と、
白血病の猫を買っている人へ、少しでも参考になれば思い、執筆することにしました。

よく『虹の橋を渡る』って言う表現を使いますが、
私は何となくこの表現の仕方が嫌いです。

何故かというと、
【死】というのは、綺麗事ではなく、リアルだと思うからです。

りことの出会いは、
3年前の6月4日、連南BCの練習前、時間が早かったので近くのスーパーの駐車場で休憩をしていた時に、どこからか子猫の鳴き声が・・・

近くの車の下で泣き叫ぶ子猫を見つけました。

おそらく生後1~1.5か月ぐらい。

近くに親猫も見当たらず、このままほっておけず、とりあえず連南BCの練習に連れて行きました。

練習に来ている人に、里親をお願いしてみるも、全員ダメでした。
これも何かの縁と思い、我が家へ連れて帰りました。

いわゆるノラのなので、病院へ連れて行き、諸々の検査をしました。

猫エイズ:陰性
猫白血病:陽性

猫の白血病は、3年ぐらいで発症、その後1か月くらいで死亡することが多いらしい。
それでも、中には7年ぐらい生きたとか、大人になると陰性になっていたとか、
稀なケースもあり、もしかしたら うちの子も・・・
と淡い期待を持っていました。

家に来て当分の間、白血病の影響かどうか解りませんが、
普通の子より体温が高く、心配してましたが、そのうち治まってきて元気になりました。
その後は特に気になる事もなく食欲旺盛な元気な子に育ちました。
ただ、去勢手術をするまで、トイレ癖が悪く、クッション、枕、毛布など、人が座ったりする物の上にオシッコをして困らせてました。
でも実は、この悪癖は、去勢前だからというだけではなかった様な気がします。
というのも、今年の4月頃からまた この癖が出てきていて、
ひょっとしたら、体調が悪い時のサインだったのかもしれません。

【閲覧注意】
ここから、死に向かっていく話です。
必要と思える人だけ読んでください。

4月の中頃、りこ専用のトイレのすぐ外に水がこぼれている。

だれか吐いたかな???と思ってましたが、
りこのオシッコでした。
あまりに臭いのなく、透明で、結構量も多い。

これが、異変に気付いた始めでした。

4月の終わりごろ、体重が減っているのに気づき、病院で検査をする事に。
血液検査で異常値があり、エコーで肺と腎臓に白い影がありました。

とうとうこの時が来たか・・・

でもまだこの頃はそれなりに元気で、食欲もあり、まさか6月中に死んでしまうとは思ってもなかったのです。
調子が落ちてくると病院で点滴を打ち、その翌日には元気になりまた数日後には調子を落とすの繰り返し。
元気になった時には多少食欲も出ていてので、この調子で体力が回復すればいいねとか言っていました。

しかし現実は残酷で、食欲は1~2日しかもたず、病院通いは続きました。
りこの好きそうな食べ物を色々買って、少しでも食べて貰うようにしていました。

病院での点滴の頻度が10日から7日、5日と短くなり、
それに比例するように体重も落ちてきました。
ふくよかだったお腹も痩せていき、手足が細くなり、体力が落ちてきてるので高い所にも上がれなくなっていたりしていました。

6月に入った頃には、
『この夏は越せないかもしれんな』と思うようになりました。

最後の1週間は、キャットフードはおろか、水分もほとんど取らなくなり、病院での点滴に頼る状態でした。

6月15日の晩、
少し息苦しく見えたので、前々から検討していた酸素供給機を導入することになりました。
しかし注文した翌日には商品は発送されず、17日発送、18日着との事。
もっと早くに注文しとけば良かった・・・

17日の夜中、
口呼吸をし始め、結構苦しそうにしている。
(後から思えば、肺にも白い影があったので、肺炎になっていたのかもしれません。)
これはやばいと思い、仕事で使っている酸素ガスを家の中にホースを伸ばし、
ガスのトーチをバルブ代わりにし、トーチ先端に水道ホースをガムテープで繋いで、
簡易的に酸素供給装置を作ってやり、口元にガスを送ってやると、
呼吸が少し楽になったようになりました。

『ああ~、一安心、明日の朝一に病院に行って、点滴打てば、また回復するだろう!』
そう思い、ひとまず就寝することにしました。

翌朝、昨晩は出窓に居たのですが、下に降りており、
当然のことながら、酸素のホースは出窓に伸ばしたままです。

口呼吸は続いていましたので、ホースを移動。

病院が空く9時まで待機。
9時になり、そろそろ連れて行こうかと思って、キャリーを準備。

いつもなら、キャリーを見ただけで嫌がって逃げていましたが、
その元気もなくされるがままにキャリーの中に入りました。

ちょうどその時、酸素供給機が届き、
『家から病院までの間、車の中で使えるかも?』と思い、
家の中で試運転→車に持ち込みインバーター電源で可動のはずが、パワー不足のようで、、車での使用は無理でした。

車の中で用意している4~5分だったと思いますが、すぐに連れて行けると思い、
酸素ガスを止めていました。
それが悪かったのかはっきり分かりませんが、

『あ~車では使えんわ~』と言いながら、家に戻ると、

リコが痙攣を始めて・・・・

6月18日(金)AM11:00頃、

そのまま逝ってしまいました。

ガスを止めたのは痛恨のミスでした。
と、初めは思っていましたが、
本当のミスは、今朝の時点で、もう駄目だろうと気づくべきでした。

何事も諦めてはいけないという考え方もありますが、
死ぬ間際に、大嫌いな病院に連れて行くべきではなく、
静かに看取ってやるべきだったと・・・

最後がキャリーお中だなんて、可哀想過ぎます。
言い訳にしかなりませんが、
その日は、結構やばそうな雰囲気だったので、
正直 冷静な判断が出来て無かったのだと思います。
それを踏まえても、悔やむに悔やみきれません。

こんな時こそ、深く深く考えるべきだったのです。

今更ですが、何度も病院に連れて行って、辛い思いをさせてしまう事自体、人間のエゴであり、猫にとって良かったのか?
特に6月に入った頃には、恐らく回復はしないだろうと思えていたので、
そのままのんびりと過ごせてやった方が良かったのかもしれません。

翌日(19日)、病院に報告に行き、

6月20日(日)
福山市内のペット火葬場に連れて行き、最後の別れをしました。

私は過去3匹の猫を看取ってきましたが、
いずれもそれなりの年齢を重ねた上での事で、
その都度、悲しみは深かったですが、
今回は、たった3年しか生きられなかった
たった3年しか一緒に暮らせなかった。
という思いが強く、今までとは違った悲しみに覆われています。

しかも、もう2~3カ月は持つだろうと思っていたので、
心の準備が出来て無く、余計に喪失感が強いです。

りこのの死から3カ月以上たった今でも、
死んだことが嘘のような、まだしっくり来てない毎日です。

もし、白血病などで肺に疾患が診られた場合、酸素供給機は早めに手配してやって下さい。
悪くなってからでは、たいていの場合間に合いません。
これも人間のエゴと言われるかもしれませんが、
呼吸が楽になり、最後の時は安らかに逝けるかもしれません。

 

我が家の残りの3匹には、是非とも長生きしてほしいものです。

追記

昨年12月末頃、野良猫の親子を3匹、保護する事になりました。
現在、いろいろお世話中です。
状況は追ってアップしていきます。